世界史創作企画

ツイッターの#世界史創作企画(2018年10月企画終了)に参加させていただいたもの。
参加時より加筆・修正しています。何せ間違いが結構あった
企画用期間限定サイトに載せていたものを転載しました。
女子キャラ化していない人物もいます。

お題一覧


【詩人、詩】
【古代史】 【創始者】 【西ヨーロッパ】 【世界遺産】
【中世】 【旅・交易】 【ヨーロッパ】 【全盛期】
【近世】 【芸術】 【中東・アフリカ】 【革命・反乱】
【近代~現代】 【食】 【ロシア・中央アジア】 【二つ名・異名】
【時代】 【内政・政治】 【東・東南アジア】 【伝説・伝承】
【動乱期】 【二代目・継承者】 【南アジア・オセアニア】 【白・光】
【絢爛期・太平の時代】 【動物】 【アメリカ大陸】 【赤・火】
【衰退期・滅亡】 【守り・保守的】 【地域】 【青・水】
【古代】 【学問】 【移住】 【緑・木】
【新年】 【中世】 【空・宇宙】 【寒】
【黄・花】 【近世】 【聖人・聖地】 【大国】
【黒・夜】 【近代~現代】 【大成】 【町】
【紫・高貴】 【歴史】
【自由】 【自由・文化】 【自由・新年】 【自由・花】

第19回【東・東南アジア】

この回が初参加でした。
東アジアにおける元号の話。

※高麗は宋の、朝鮮は明の冊封を受けています。
参考文献:
『宋史 卷338』(元・脱脱等)
『慵齋叢話』(朝鮮・成俔)

・元号を書き忘れた崔興孝は故意ではなかったということで死刑にはならずにすみました。
・冬至のズレは朝鮮通信使の記録より。日本は独自の暦を使っているので、こんなことが起こります。
・清に対して好印象を持ってない朝鮮は非公式な場では崇禎の元号(※明の最後の元号)を使うこともありました。

2017.12.15 追記:
2019年に改元が決まりましたね!新しい元号が何になるのか気になります。
ところで旧暦、日本の暦は「2033年問題」があるんですが、こっちはどうなるんでしょうか…。
トップへ戻る

第20回【伝説・伝承】

中国南北朝時代、梁の僧である宝誌禅師(+α)のお話。
宝誌は「邪馬台詩」の作者としても知られています。
参考文献:『仏祖統紀』(宋・志磐)

インパクトのありすぎる宝誌和尚はこちら。この顔が割れた像(西往寺「宝誌和尚立像」)は京都国立博物館で見れます。(※展示による)
梁代は色んな逸話があって面白いです!しかしネタ枠の宇宙大将軍が台無しにしていきました。
トップへ戻る

第22回【二代目・継承者】

正確には28代目新羅王ですが、女王としては二代目の真徳女王。
唐の威光を称えた〈太平頌〉を作って錦を織り、唐の高宗へ献上しました。
高句麗・百済と争っていた新羅は唐の助力を得て半島を統一していきます。
参考文献:『三国遺事』(高麗・一然)
トップへ戻る

第28回【赤・火】

火を持つ動物に気を付けて、というお話。
紹興に己酉の年がないんですけど…。建炎三年かな?
参考文献:
『陶朱新録』(宋・馬純)
『明史 巻30』(清・張廷玉等)…『餘冬録』(明・何孟春)にも載ってるそうです。未読。
『芝峰類説』(朝鮮・李睟光)

『朝鮮王朝実録』の光海君元年(1609年)に開城の失火について(3月19日条)と、平壌の火災について(4月28日条)の記述があります。
元々乾燥する時期なので火災は多かったらしいのですが…姓にこじつけて色々言われている明使が気になります。
ちなみに本当は代替わりの挨拶じゃなくて、前国王の諡号を伝えるために来ました。
トップへ戻る

第29回【衰退期・滅亡】

好きな江南の後主を詰めてみました。オマケで半島を入れたかったんです。
実は義慈王を「白村江の戦いで負けた王」って書いてたけど「百済の役」でしたね!!!
白村江の戦いは唐&新羅VS百済の遺民&日本軍です…。本当こういう間違いやめろ…。
孫晧はお酒の飲めない臣下にお茶を賜る優しさはあります!そこは史実です!!(呉民)
義慈王の件は唐の皇帝のプロパガンダ活動の一環ですね。義慈王は暴君だったことにしたいという。
真徳女王の錦を織った成果がここに!!
トップへ戻る

第30回【守り・保守的】

「守り」→「お守り」からの連想で、厄除け札もとい「門神」ネタで唐太宗と臣下たち。
門神の絵だと鎧がわからなさ過ぎて四天王の仏像を参考にしました(そのくせ全く似なかった…)。
門神は色々なバリエーションがあります。単体だったり左右一対だったり。
秦叔宝と尉遅敬徳verだと、五つの髭が秦、ボーボー髭が尉遅のことが多いかと。

この太宗の寝室に現れた鬼神・魑魅魍魎については、李世民が玄武門の変で殺した兄弟という説や
魏徴(※太宗の臣下)が殺してしまった竜王の祟りという話も。
トップへ戻る

第31回【地域】(不参加)

お題不参加分。千字文@漢字文化圏!地域っていうか言語お題になってる(爆)
各国の表音文字では『千字文』冒頭をこう書きます。
日本語→ひらがな、韓国語→ハングル、ベトナム語→クォック・グー(国語)
ひらがなは漢字を崩して出来た文字。言語の音節の違いにより、漢字を読むと文字量が約2倍に増えます。
ハングルは世宗大王の時(15世紀)に造られた文字。漢字を読んでも文字量は変化しません。
クォック・グーは元は宣教師がベトナム語表記の際に使ったもの。アルファベットです。
「黄」と「洪」と「荒」の三音の書き分けにご注目~。ベトナム語には声調があるので書き分けられるのです。

ちなみにベトナムには「字喃(チュノム)」という独自の漢字があり、固有の音を表記していましたが
1945年に漢字の使用を廃止。クォック・グーが書記法として採用され、今に至ります。

追記:

『千字文』の読み方について、朝鮮や日本では伝統的に独特の読み方があるそうです。
朝鮮の場合、「天地玄黄」は「하늘 天 따 地 감을 玄 누를 黄」のように読み、
(日本語風にいえば「あめ天、つち地、くろい玄、きいろい黄」)
日本だと「テンチのあめつちは、ゲンクワウとくろくなりき」という読み方(「文選読み」という)をしていたとか。
ベトナムでは漢字の勉強には専ら『三字経』が使われました。
参考:『漢文と東アジア――訓読の文化圏 (岩波新書) 』

解説という名のおまけ。
梁代は色んな逸話があって面白いです!(二回目)
トップへ戻る

第33回【古代】

竹林七賢の1人で、「神ってる」阮咸のお話。
正倉院には楽器の阮咸が伝わっています。
BCE(Before Common Era)は紀元前の意味です。
参考文献:『世説新語』(宋・劉義慶)
トップへ戻る

第34回【学問】

学問→留学生(…遣唐使!)の発想で。
12歳で唐に留学し、後世に朝鮮を教化したとして文廟(孔子を祀る所)に祀られた新羅の文昌侯・崔致遠。

阿倍仲麻呂と同じく唐の科挙に合格し、黄巣の乱の時は高駢の幕下にいて「討黄巣檄文」を書きました。
黄巣はこの「討黄巣檄文」を読んで寝台から転げ落ちたという話があります。
ちょうど投稿した時期に、韓国の高校生が檄文のパロディーで風刺をしたそうで…。
ハンギョレ新聞16/12/03>ttp://japan.hani.co.kr/arti/politics/25839.html
参考文献:『大東韻府羣玉』(朝鮮・權文海)

実は崔致遠を文廟に祭ることに関しては性理学者の李滉(退渓)が反対したりと扱いは複雑です…。
(理由:崔致遠は仏教に関する著述が多いから。朝鮮時代は仏教が嫌われていた)

2015年に慶州で開かれたイベントではミュージカル『崔致遠』が上演されたそうです。
阿倍仲麻呂もオペラがあるし、ひょっとして遣唐使テーマは今熱いのでは…?(願望)
トップへ戻る

第38回【中世】(不参加)

お題不参加分。夏頃にふと描きたいなと思いついたにもかかわらず、こんな時期になりました。(現在冬)
ベトナム中世のロリ女帝とショタ皇帝。
参考文献:『大越史記全書』(ベトナム黎朝・呉士連)

ベトナム李朝最後の皇帝はわずか七歳の少女、李仏金(昭皇)。ベトナム史で唯一の女帝でもあります。
李恵宗は暗君に近く、妃の身内であった陳守度は恵宗に圧力をかけてその娘に禅譲させます。
李昭皇は遊び友達だった陳煚(陳守度の甥)と結婚、禅譲して陳煚は陳朝の初代皇帝として即位しました。この時わずか八歳。
後に子供ができないことを理由に李昭皇は離縁され、元寇で功のあった臣下に降嫁することに。
女帝→皇后→公主という壮絶な人生を歩むことになった李昭皇でした。

陳朝は初期がドロドロすぎるね…。
トップへ戻る

第54回【花】

中国史から花蕊夫人。
五代十国時代、後蜀の後主・孟昶の妃。芙蓉や牡丹の花を愛しました。
また蜀の都である成都はたくさんの芙蓉が植えられ、別名「芙蓉城」と呼ばれました。

…しかし絵は花でも宮詞でもなく、張仙という神にまつわる伝説をば。

後蜀が宋に滅ぼされた後、太祖(趙匡胤)の後宮に入った花蕊夫人。
彼女は部屋に孟昶の肖像を掛けて祀っており、太祖にこれは誰かと尋ねられると、
「張仙です。子授けの神で、蜀ではよく知られています」
と答え、隠れて旧主を偲んだという。
おまけ。
北宋時代に蜀の人である蘇洵が張仙に子宝祈願をしたところ、蘇軾と蘇轍が生まれたとのこと。(蘇洵『嘉祐集』巻十五 「題張仙畫像」)
霊験あらたかですね!
トップへ戻る